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平成最後の「おかんとマー君」

 M1録画を昨夜帰ってからネタと講評以外は飛ばしまくって1時間弱で観た。気を付けてたのにTwitterの通知機能をOFFらなかったばかりに、事前に優勝者を知った上での鑑賞だった。


 僕は和牛、かまいたちジャルジャル霜降り明星の順番で楽しんだが、この4組はどのコンビが優勝しても納得できるレベルの高い漫才を見せてくれた。

 

 今回の講評で気になったのが、芸人から滲み出る『人間的な魅力』を重要視していたことだ。その流れをけん引したのは、立川志らくであったと記憶している。今回の審査員の目玉でもあった彼に飲み込まれたかのように、周りに座っていたサンドイッチマン富澤とナイツの塙も言葉を変えつつも、『人間的な魅力』というキーワードを発していた。

 結果、優勝したのは『人間的な魅力』に勝った「霜降り明星」であった。ただし、ここでいう『人間的な魅力』とは、次のお茶の間の人気者になり得る魅力、言い換えると地上波テレビバラエティ界での人気者になり得る魅力としか受け取ることができなかった。

 例えば、芸人を海外に派遣し、現地人と交流しながらその場所に伝わる奇祭を体験する姿を面白おかしくお茶の間に紹介するという画期的な番組があると仮定する。和牛、ジャルジャル霜降り明星の3組の中では、霜降り明星が最もお茶の間受けが良さそうだとは素人目に見ても何となく理解できる。

 立川志らくは『人間的な魅力』という言葉を、そのような意味に使ったわけでは無い。むしろ彼は地上波テレビバラエティ的なお約束事に対立する立場としての役割を担ってあの席に座っていたはずだ。ジャルジャルの1本目とトムブラウンに高得点を付けたことから考えても、彼の審査には一貫性があった。

 

 決勝の3組のネタを見たとき、実際には結果を知っていたにも関わらず、僕は和牛の優勝だと思った。霜降り明星も面白いが1本目と同じであるように見えた。比べて和牛は1本目と全然違っていた。1本目と2本目で全く違う質の面白さを見せつけた。圧倒的だと思った。
 結果は、霜降り明星が1票差で勝利した。霜降り明星が勝ったら面白い展開になるという空気が出来上がっていた。それは、次の"お茶の間の人気者"足りえる『人間的な魅力』で勝っているのは彼らだという空気だ。立川志らくの発した『人間的な魅力』を重要視する空気は、彼の意図していたであろう意味から転換した。


 和牛と霜降り明星の審査において1本目と2本目で評定の変化があった審査員は2人のみ。
 1人は立川志らく。彼は1本目の時点では両組とも93点を付けている。最後に霜降り明星を選んだ。
 もう1人は松本人志。彼は1本目は霜降り明星に94点、和牛に93点を付けたが、最後は和牛を選んだ。
 他の審査員は1本目の評点を高くしたコンビをそのまま最後に選んでいる。
つまり、松本人志が和牛に転ぶことを前提とすれば、立川志らくがどちらを選ぶかで優勝者が決まったことになる。

 立川志らくは1本目で評価を保留していた和牛を勝たせないという選択をした。容赦の無い選択だと思う。意識的では無いと思うが、M-1的な感動を否定したかったのかも知れない。あと一歩のところで優勝を逃しては、漫才の完成度を徹底的に高めた和牛が最後に勝つという感動物語よりも、まだ何も背負っていない霜降り明星がさっそうと優勝をかっさらう痛快さを選んだ。

 

 対して、松本人志は何故、和牛に転んだか。もう和牛に勝たせてあげたいという、情や優しさに決定権を委ねたとしか思えない。彼が帝王の座より、自ら降りた瞬間を見たような気がした。
(この人は、もともと過去の審査でも、情や優しさで選んでるよねという突っ込みもできなく無いが)

 

 番組の最後に彼は会場一丸となって場を盛り上げようとする様子を評して、「もうおっさんなんで~(中略)~、途中で泣けてきてしょうがなかった」という発言をした。
本当に泣いていたとしたら、彼はいつ、どのコンビのネタ中に泣いていたのだろうか。